ここ10年ほどで、機械翻訳は大きく進歩しました。以前は不自然だった翻訳文も、今ではかなり自然に読める場面が増えています。リアルタイム翻訳や自動字幕生成も、数年前と比べるとずっと実用的になりました。異なる言語を話す人どうしが意思疎通するハードルは、確実に下がってきています。この変化を見ると、「これからの時代に、はたして英語を学ぶ価値はあるのか」と疑問に感じる方も多いのではないでしょうか。
実際、昨今では翻訳という仕事の一部はすでに少しずつ AI に置き換えられつつあるという話を聞きます。もちろん現時点では、機械翻訳の精度に問題が出る場面もありますし、会話のテンポが大事なリアルタイムのやり取りでは、まだそのまま人間同士で話すほうが自然だと感じることも少なくありません。ただ、それが3年後も同じとは限りませんね。
ここ数年の AI の進化は目覚ましいものがあります。テキストだけでなく、音声や画像についても、AI が生成したものは以前よりずっと自然になっています。今後さらに精度が上がれば、単純に英文を別の言語へ訳すこと自体は、ますます当たり前の機能になっていくでしょう。分野ごとの微妙なニュアンスの訳し分けも、今より大きく改善されていくはずです。音声のリアルタイム翻訳についても、モデルの性能だけでなく、UI/UX といった使いやすさの面が改善されることで、さらに手軽なものになっていくと考えられます。そうなると、人間に求められる仕事はより難しいものになっていきます。言い換えると、「英語が使える」という事実だけの価値は、これから相対的に下がっていくはずです。英語を日本語に訳せる、あるいは日本語を英語に直せる、というだけでは強みになりにくくなっていくでしょう。
しかしそれでもなお、機械を介さずに英語を使えることには価値が残ると思います。
直接やり取りできれば、言葉を言葉の感覚のまま受け取れます。会話に待ち時間もありません。原文が持つ響きや温度感、言葉の選び方による微妙な印象の違いは、翻訳を通すとどうしても少し削られます。意味は伝わっても、心の動き方までは同じにならないことがあります。例えば、原著の小説で体験した感動を、翻訳で完全に置き換えることはできません。複数人が時間的に拘束されるミーティングでは、無駄な時間は参加人数の掛け算になりますので、直接やりとりできることには大きなアドバンテージがあります。
また、言語の違いの奥には文化の違いがあります。相手を深く理解するには、単に文の意味を変換するだけでは足りません。相手の前提や価値観、言い方の背景にある文化まで含めて理解しようとする姿勢が必要です。そうした部分は、翻訳技術だけで埋められるものではなく、言語スキルとソフトスキルの両方があって初めて近づけるものです。
では、AI 時代にはどのように英語を学ぶのがよいのでしょうか。私は「翻訳の代わりとして英語を学ぶ」のではなく、「英語で直接理解し、直接伝える力を育てる」方向へ比重を移していくのがよいと考えます。英語スキルそれだけで価値を生むのは難しいですが、コミュニケーションスキルとして今あるスキルへの付加価値としてはまだ大きな役割が期待できます。
例えば、単語や文法を覚えるだけでなく、英語のまま内容を理解する練習をする。機械翻訳で意味を確認することはあっても、最初から最後まで翻訳に頼り切らないようにする。あるいは、相手の意図や感情をくみ取りながらやり取りする練習を増やす。こうした力は、AI が便利になってもなお、人間に残りやすい部分です。
AI はこれからも翻訳をどんどん便利にしていくでしょう。その流れ自体はおそらく止まりません。しかしその一方で、英語を自分の力で使えることの意味が完全になくなるわけでもありません。価値がなくなるのではなく、価値のある場所が変わっていくのだと思います。だからこそ、これからの英語学習では、「翻訳の代わり」を目指すよりも、「英語で直接理解し、直接やり取りする力」を育てることが大切です。AI を便利な補助として使いながらも、読む、聞く、書く、話す経験そのものは自分で積み上げていく必要があります。機械翻訳が発達する時代だからこそ、英語を使って相手と自然につながる力は、むしろよりはっきりした価値を持つのではないでしょうか。

